私は昭和の第2次ベビーブーム生まれです。実家のご近所には男子も女子も各学年1人くらいは誰かがいて、毎日下校後は男子女子それぞれのガキ大将に率いられ遊んでいました。女子だけれど、用水路でザリガニや泥鰌を取り、塀や木や電柱や屋根に登り、時には塀を越えて余所の借家の敷地に入ってご近所さんに怒られました。
昭和は本当に佳い時代ですね。「石黒さん家の真紀ちゃん」と認知されて、ご近所の方々の目がちゃんとありました。悪いことをすれば怒られますけれど、多分、男子が女子に悪さ(力で勝負)をすれば男子を怒ってくれていました。塀の陰に隠れてなにかする事の後ろめたさを教わったのもご近所の大人の目でした。また、田植え直後の田圃にオタマジャクシが沢山いるのでタモ(網)で捕獲しに行ったのですが、自分の家の田圃で獲った記憶しかないのですよね。これは、うちの親や祖父母、時には近所の大人達に、余所様の所有地の物を獲ってはいけないと教わったからだと思うのです。お陰で、私は盗みをせずに大人になることが出来ました。かけがえのない子供時代です。
東京に出ても、滋賀に来ても、私にはご近所さんはとても大切な存在です。自分の習性でもあるのですが、新しい土地に行くと拠点となる飲食店を見つけます。一人で行くのでお店の方や常連さんが話しかけてくださり、そこでご近所付き合いが拡がっています。色々佳い事もありましたし、そうでない事もありました。でもそれは全て若い自分なりの経験でしたし、誰もが通る青春時代だと思います。今はSNSが発達していることもあり、滋賀に移った後も繋がっていられる東京その他地域の方も沢山いらっしゃいます。
今日は休日で幾人かのご近所さんにお逢いして言葉を交わしました。ここでは「びわ湖ホールの石黒」であり「美味しいもの好きの石黒真紀」でもあります。自分が名乗っていなくても相手さんが所属を知っていらして時にびっくりしますが(笑)。どちらも今の私のアイデンティティだし、恥じることなど何もないので緩やかに過ごしています。30代で滋賀に赴任した時は、びわ湖ホールが大津の中堅企業だと自覚して身構えましたが、今はその角も取れました。また、30代の自分の自覚も間違っていなかったと思っています。私達の財団は、県民の皆様に支えて頂いており、地域住民の皆様と共存ししています。大切なコミュニティです。10年以上住まわせていただいているこの滋賀県大津市に感謝しながら日々過ごしています。